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2014年1月の12件の記事

2014年1月31日 (金)

ひろしまドリミネーション(12月中旬)

ということで、暗くなってから、ひろしまドリミネーションを見に行きました。

詳しくはこちらです。
http://www.dreamination.com/

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開催概要のページには以下のような情報が載っています。。

(1)実施内容
「おとぎの国」をコンセプトに、平和大通りやアリスガーデンなど市内中心部で、約140万球の色とりどりの光でライトアップを展開する
(2)開催期間・点灯時間
① 開催期間 平成25年11月17日(日)~平成26年1月3日(金)(48日間)
② 点灯時間 17時30分~22時30分
(3)実施エリア
①平和大通り南北緑地帯(平和大橋東詰め~田中町交差点 )
②並木通り・金座街・中央通・本通・中の棚の各商店街
③アリスガーデン・東新天地公共広場・元安川左岸・京橋川右岸の公共空間
④基町クレド・紙屋町シャレオ、白島キューガーデン、広島県立総合体育館などの施設

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私たちは、広島市の100m道路、平和大通り沿いを17時半くらいから1時間くらい歩きました。

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神戸のルミナリエは「見上げる」イメージですが、こちらは、イルミネーションに「入る」イメージです。

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いくつか写真を載せますね。

テーマは、「おとぎの国」なので、メルヘンチックな親しみのあるイルミネーションが続いていて、原爆記念資料館観覧後、精神的に疲れ切っていたにもかかわらず、つい微笑んでしまいます。

このイルミネーションのサイトはそれほど混んでいませんでした。(お子さん連れでもお子さんが人ごみに紛れてはぐれてしまうということはないと思います。)暗いので、お子さんを見失わないように気を付けたほうがいいですが…

カップル・家族連れで記念写真を撮るのに良い場所だと思いました。

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あちらこちらに記念写真を撮るのに向いているような場所があります。

よく考えられていると思いました。

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ルミナリエなどと比べて小さいので、写真におさめやすいです。

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下の写真には気球のようなものがみえますが、この籠(バスケットかな?)のなかに入って記念写真を撮ることができます。


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ルミナリエの時より、たくさん記念写真が撮れました。


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広島は県の花も県の木ももみじだそうです。(「花も…?」とちょっと不思議でしたが。)

参考:http://hiroshima-mall.com/fes/momiji.html
「広島ともみじ」と題された文章です。

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身近にあるイルミネーション、大満足でした。

めったにないくらい、記念写真がたくさん撮れました。




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お子さん連れやカップルなど、「冬っぽくてロマンチックな記念写真を撮りたい!」という方にはすごくおすすめです。こどもたちは、はしゃいで、光のアーチを通り抜けたりして楽しんでいました。たぶん、ルミナリエよりも子供たちには意味が分かりやすいかも、と思いました。イルミネーションを見ていて、会話になりやすいというか…
(それから、こちらは道路のそばですが、道路が広いせいか、東京などに比べて交通量が少ないような気がします。)

阪神淡路大震災が1985年、広島への原爆投下が1945年、ふと、何か感じましたが…よくわかりません。

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この後、夕食をとってから、神戸に戻りました。(夕食をいただいたお店はすごく良かったのですが、隠れ家的なところなので、宣伝NGのようなのですよ。ですので、名前は出せません…)

次は、名古屋です・・・(写真がなかったかも…^^;どうしましょう。)

2014年1月29日 (水)

広島(12月中旬)

ということで…

平和記念公園にはたくさんの学生(生徒)さんたちと外国人がいました。
外国人観光客に英語で質問をしている生徒さんたちが何人かいました。
手に紙を持っていたので、たぶん、学校の課題か何かで「外国人に感想を聞く」というのでしょうか。
しかし、外国人がみな英語を(わかりやすく)話してくれればいいですけれど…
私たちに向かって、何を間違えたか、「ハロー」と言ってきた生徒さんがいたので、「ハロゥ」とこたえておきましたが…知らない人がみんな外国人だとは限りません…
広島平和記念資料館です。

サイトはこちら。詳しくいろいろ載っています。

http://www.pcf.city.hiroshima.jp/



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ともかく中は広く、見るものがたくさんあります。
二時間半で見学の予定を組む人が多い感じですが、実際には三時間超を見積もっていたほうがいいと思います。

最初の部分は政治的な話で、グローバルな視点での話が進みますが、徐々に個々人の話になり、最後に科学的な話も交えて…という感じです(私の印象)。くわしくは、バーチャルツアーをご覧ください。(http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/index.html)
展示はなかなか良くできていると思います。

初めのセクションあたりでは、わいわいがやがや楽し気な子供たちが最後のころには涙目になります。なかには、途中のセクションを見ずに、出口に向かって一直線に行ってしまう男の子もいました。大人のかたもほとんどみな目が真っ赤でした。涙をぬぐうものやティシュなどは必携かな、と思います。(私も年のせいかだいぶ涙もろくなりました。)
途中にミュージアムショップがあり、そこで結構時間をかけていろいろ本など見る人が多いようです。私は岩崎ちひろ先生の絵が印象的な「わたしがちいさかったときに」(http://www.chihiro.jp/chihiro/hope/ehon/index2.html) を買いました。原爆関係の本で(たぶん)私が初めて読んだ本です。
また、トイレは多少(かなり?)混むようです。 私たちが行ったときに、たまたま、だったのかもしれませんが。


暗いので、写真の質があまり良くないのですけれど、抗議文の写真を。原爆などの実験のたびに送っているそうです。



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外に出ました。閑散としています。


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淡い夕焼け。


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この後、広島市のひろしまドリミネーションを見ることにしました。

くわしくはこちらhttp://www.dreamination.com/

神戸のルミナリエが観賞中心なら、ドリミネーションは参加型、というか、写真撮影にとても向いています。

次回に続きます。




2014年1月27日 (月)

宮島から広島へ(12月中旬)

厳島神社を見た後、あちこち見て回り、もみじ饅頭を買って、再びフェリーで宮島口に戻りました。

もみじ饅頭のあんにはいろいろあって、チョコレート(あん)とか、カスタードクリーム(あん)などあって、こしあん・つぶあんの苦手な人にも大丈夫な感じでした。私は、一番最初に入った店だったので、「藤い屋」で買いました。

広島の原爆ドームあたりに出るのに、広島電鉄(路面電車)に乗りました。
広島電鉄の列車内。

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お昼近かったので、原爆ドームに行く前に、お好み焼きを食べました。
お店は「大昌」(ぐるなびのページです)といい、雑居ビルの二階にあるのですが、ランチがお好み焼きとコーヒー(飲み放題)で550円、お好み焼きとサラダと飲み物、コーヒー、アイスクリームで800円(だったかな、値段が間違っているかも)で、店員さんがとても親切なうえ、お好み焼きがとてもおいしくて、お値段がとてもリーズナブルでした。外国人のお客さんもいて、そのうち外人さんが多く詰めかけそう、なんて思いました。


食事後、原爆ドームに行く前に、爆心地の記念碑によりました。(大昌から原爆ドームに行く途中にあります。)当時も病院だったそうですが、現在も医院でした。(写真はありません…)

ということで、原爆ドームです。

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中には入れません。
竣工年月日(広島県物産陳列館)は1915(大正4)年4月5日だそうです。
もともと広島県物産陳列館として開館し、原爆投下時は広島県産業奨励館だったそうですが、設計者がヤン・レツル(現在のチェコ出身の建築家)という方だそうで、建物はなんとなく欧風な気がします。
広島平和記念資料館のサイトには、以下のような説明が出ていました。
広島県物産陳列館
広島県物産品の販売促進を図る拠点として造られた広島県物産陳列館は、大胆なヨーロッパ風の建物で、県下の物産品の展示・販売のほか、博物館・美術館としての役割も担っていました。その後、広島県立商品陳列所、広島県産業奨励館と改称し、戦争が激しくなった1944(昭和19)年3月には産業奨励館としての業務が廃止され、内務省中国四国土木出張所や広島県地方木材・日本木材広島支社などの統制会社の事務所として使用されていました。
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下の写真は、時代の変遷とともに、原爆ドームとなるまでの説明です。


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周囲の様子です。原爆後、町が再建されたので、整備された町という印象があります。


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橋を渡って、広島平和記念資料館のほうに向かいます。(下の写真)


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遠くに原爆ドーム。


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たくさんの千羽鶴がおさめられている場所。「原爆の子の像」が真ん中に。


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先ほども引用しましたが、広島県平和記念資料館のサイトには
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/tour/ireihi/tour_16.html
「特記事項」として、以下のような文章がありました。
佐々木禎子さん
2歳の時被爆した佐々木禎子さんは、幸いけがもなく、元気で活発な少女に成長しました。ところが、10年後の小学校6年生の時に突然白血病と診断され、8か月間の闘病生活の後、1955(昭和30)年10月25日に短い生涯を終えました。禎子さんは「鶴を千羽折ると病気が治る」と信じ、薬の包み紙や包装紙などで1,300羽以上の鶴を折り続けました。病気を乗りこえ、懸命に生きようとした「サダコ」の物語は、ヒロシマの悲劇の象徴として、日本だけでなく海外でも広く語り継がれています。
子どもたちの運動
禎子さんの死に衝撃を受けた同級生たちは、「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑をつくろう」と全国へ呼びかけました。やがて、子どもたちによる募金活動が始まり、全国3,100校余りの生徒と、イギリスなどの国外からの支援により、像を完成しました。
鐘と金色の鶴
塔の内部には、子どもたちの気持ちに感動したノーベル物理学賞受賞者の湯川秀樹博士の筆による「千羽鶴」、「地に空に平和」の文字が彫られた銅鐸を模した鐘がつられ、その下に金色の鶴がつるされ、風鈴式に音が出るようになっています。(この鐘と鶴は2003(平成15)年に複製されたもので、オリジナルは広島平和記念資料館東館1階ロビーに展示されています。)


金色の鶴(複製なんですね)

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折り鶴台(ブース)の整備
この「原爆の子の像」に捧げられる数多くの折り鶴を雨露から守るため、2002(平成14)年4月に、像の周囲に新たに屋根付きの折り鶴台(ブース)が整備されました。
という説明がありました。


千羽鶴の物語、かなしいですね…

**************

話が長くなってしまいましたので、続きは次回に…



 

2014年1月24日 (金)

厳島神社(12月中旬) 続き

厳島神社の様子です。

下の写真に写っている場所は、
「平舞台 [ひらぶたい]
国宝
高舞台に対し平らなところを平舞台といいます。 寝殿造りでいえば庭にあたるところで、束石は赤間石で毛利元就の寄進といわれています。」
とのことです。
奥の高くなっているのが
「高舞台 [たかぶたい]
国宝 : 平安時代
舞楽が舞われると舞台です。
舞楽とは、雅楽による舞踊のことで、陵王・振鉾・万歳楽・延喜楽・太平楽・抜頭など二十数曲が、今なお嚴島神社で舞われます。 この舞台は、天文15年(1546)棚守佐伯房顕[たなもりさえきふさあき]が、高舞台の擬宝珠[ぎぼし]を奉納したことがわかります。高舞台は、四天王寺の石舞台・住吉大社の石舞台と共に日本三舞台といわれています。」
だと思います。
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その他、いろいろと撮影したので、並べます。
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これ(下)は能舞台ですね。
詳しくは、こちらを。
特徴が以下のように挙げられています。
「特徴は、日本で唯一海中に建てられている。切り妻造りであり、笛柱が独立している。
海中にあるため、通常床下に共鳴のために置かれている甕が無いことです。代わりに、床下の根太が三角形で、その上に床板を張り、大きく響くように工夫されています。」

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外に出ると、くつろぐシカさんたち。丸まっていて、ちょっと寒そうでした。


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なごみ顔のシカさん。

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こういう顔を見ているとゆきを思い出しました。

下の写真はゆきです。私たちの帰省の間、夫の両親の家にいました。
夫と二人で、「ゆき、どうしているかね」と話しました。


そのころ、ゆきは、毎日、るぅさんにお散歩に出してもらい、おいしいカリカリ(猫用おかし)をもらい、たまに、てぃ用えさの入っている袋をかみちぎったりして、過ごしていてました。(これについては、またあとで話題にすると思います…)


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2014年1月22日 (水)

厳島神社(12月中旬)

厳島神社の大鳥居のほうに行ってみました。

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水の色が太平洋のとは違うような気がします。   


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大鳥居のまわりは下の写真のような感じです。   


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大鳥居あたりから見た厳島神社。(逆光で見にくいです。)


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それから、五重塔(国重要文化財)のほうに行きました。(厳島神社のそばの坂は急なので、厳島神社に行く前に、土産屋街のわきから昇る道を行くと楽だと思います。詳しくは観光案内所で教えてもらえると思います。)
五重塔は、宮島観光協会のサイトによると、「高さ : 27.6m、方 : 3.6m」、「応永14年(1407)建立、桧皮葺で和様・唐様を融合した見事な建造です。内部は彩色がしてあり豪華絢爛。内陣の天井には龍が、外陣の天井には葡萄唐草の模様が描かれています。その他壁板には、迦陵頻伽[かりょうびんが]や鳳凰が極彩色で描かれています。特徴の一つに2層目で止まっている心柱があり、風に対して強い構造となっています。本尊の釈迦如来・普賢菩薩・文殊菩薩は、明治の神仏分離で大願寺へ移されました。」とあります。詳しいことはわかりませんが、見ているだけで、絵になる建築物だと思いました。


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そして、隣にあった国重要文化財の豊国神社 [ほうこくじんじゃ](通称:千畳閣[せんじょうかく])。
夫は、建物のボロボロ具合(夫曰く)が妙に気に入ったようで、たぶん、厳島神社よりも長くいました。
ちなみに、入場料がかかります。
「桁行41m 梁間22m 単層本瓦葺入母屋 木造の大経堂
豊臣秀吉公が戦没者のために、千部経の転読供養をするため天正15年(1587)発願し、安国寺恵瓊[あんこくじえけい]に建立を命じましたが、秀吉の死により未完成のまま現在にいたっています。 明治時代に秀吉公と加藤清正公が祀られ、豊国神社となっています。
入母屋造りの大伽藍で857畳の畳を敷くことができ、軒瓦には金箔が押してあることから完成していれば、さぞや豪華な桃山文化を取り入れた大経堂になっていたと思われます。
また堂内には、大鳥居が明治8年に建替えられた時に使った尺定規があります。
本尊の釈迦如来[しゃかにょらい]・阿難尊者[あなんそんじゃ]・迦葉尊者[かしょうそんじゃ]は、明治維新の神仏分離令のときに大願寺に移されています。」だそうです。


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ということで、厳島神社です。
あまりにもよく知られた場所です。
宮島関係のサイト(私のための覚書)
http://www.miyajima-wch.jp/index.htm
http://www.miyajima.or.jp/sightseeing/ss_itsukushima.html

国宝の回廊。
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私はこちらで、お守りをいくつか購入しました。
夫は、初めての場所でかなり気が引けていたようで、「見るものを見たら、すぐに出たい」といった様子でした。「京都の伏見稲荷大社に行ってもきっとこんな風におどおどするのかしら」と私は少し驚きました。
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下の写真について、宮島観光協会のサイトでは「御本社 [ごほんしゃ]  拝殿 [はいでん]  祓殿 [はらいでん]」の項で説明がありました。
「御本社は、それぞれ国宝に指定されていて、ご祭神は、市杵島姫命[いちきしまひめのみこと]・田心姫命[たごりひめのみこと]・湍津姫命[たぎつひめのみこと]の宗像三女神[むなかたさんじょしん]です。ご本殿は、三女神のほかに30柱の神様が相殿[あいどの]されています。
広さは、正面8間・背面9間・梁間4間で、出雲大社の2倍の大きさといわれ、日本一大きな本殿です。御祭神の三女神は、海の神・交通運輸神・財福の神・技芸の神として信仰されています。平清盛は、瀬戸内の海賊を平定し、海運業者を支配し、日宋貿易によって莫大な財を築き、急速に昇進しました。瀬戸内や宋との交易船の航海安全を祈るため、また瀬戸内海航路の要衝であった厳島を篤く信仰いたしました。
明治維新までは、厳島弁財天もお祀りしてありましたが、神仏分離令により、現在は、大願寺にお祀りしています。
幣殿[へいでん]は、幣帛[へいはく](神前に供える物の総称)を供える施設です。
拝殿は、参拝者がご祭神と向き合い、お祓い・参拝する施設です。拝殿の下から見上げると棟が2つ見えます。その上を一つの棟で覆っています。これを三棟造りといい、奈良時代の建築様式といわれています。大鳥居からの距離は、百八間(約195m)です。
祓殿は、お祓いをするところで、管絃祭の時に鳳輦[ほうれん](御輿)が置かれる場所であり、また雨天時の舞楽奉奏などに使われます。
また、昭和16年頃、米相場が統制されるまでは2月にここで米相場が立っていました。
床板は、明治になり楠で浅野藩の藩船厳島丸の板が使用されています。」とのことです。
情報で頭がいっぱいいっぱいです…
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こんなところにもシカさんが。(下の写真)


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遠くに大鳥居が。   

「枡形 [ますがた]
客神社祓殿[はらいでん]と廻廊で囲まれたところを、枡形といいます。毎年旧暦6月17日に行われる「管絃祭」で御座船や阿賀・江波の曳船がここで船を3回廻します。
廻廊に大勢のお客様が陣取り、管絃祭のクライマックスを迎えるところです。」
宮島観光協会のサイトにありました。
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こちらは遠くに五重塔でしょうか。   


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フェリーで見かけた外人さんを厳島神社で見かけないのが不思議でした。
***

写真が多くなってしまいましたので、次回に続きます。   

2014年1月20日 (月)

宮島(12月中旬)

朝、新幹線で新神戸から広島に行き、広島からローカル線で宮島口に、そこから、9時10分から16時10分の間は厳島神社の大鳥居に近づいて接岸するというJRフェリーで、宮島に行きました。

新神戸駅の様子。トンネルに挟まれています。


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たくさんの消火器。


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宮島行のフェリー乗り場


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フェリーです。

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外人さんが多いのにびっくりしました。
カップルで、友だち同士で、集団で…こんなにたくさんの外人さんを見るのは、久しぶりかもしれないと思ったくらいです。(上野動物園界隈でも外人さんを多く見かけますが、日本人も多いので、それほど目立たない感じがします。このフェリー内では日本人よりも外人さんのほうが数で圧倒していたような感がありました。)とくに、楽し気なオーストラリア人の女学生さんの集団が目立っていました。


瀬戸内海~瀬戸内の町を舞台にした映画などを見たとき、「海がだいぶ違う」と思ったものです。(私にとって身近な海は、東京湾と太平洋なので…)

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情緒がいっぱいです。

大鳥居(国重要文化財)が見えてきました。
感動です!
私は、日本三景のうち、これまで松島しか見たことがなかったので、すごく感動しました。
いつか天橋立にも行ってみたいものです…。
干潮のようでした。(満潮なら、フェリーが大鳥居にかなり接近するようです。)
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大きいです。
高さ 約16.6m
棟の長さ 24.2m
主柱周り 9.9m
総重量 60t
だそうです。60トン、とは…

そのほか、公式サイトには以下のような文章が載っていました。
「嚴島神社の大鳥居は、木造で鳥居の種類としては両部鳥居(四脚鳥居)です。高さ約16.6m、棟の長さ24.2m、主柱周り9.9m、総重量は約60t、木部は丹塗り(光明丹[こうみょうたん])、主柱は楠の自然木を、袖柱[そでばしら]は杉の自然木を使っています。
現在の大鳥居は、平安時代から8代目にあたり、明治8年(1875)に再建されました。笠木は箱になっており、拳大の石が約7t詰められています。根元は海中に置かれているだけで、自重で立っています。主柱の基礎は、千本杭[せんぼんくい]の工法が用いられ、45cmから60cmの松杭がそれぞれの柱に約30本から100本打ち込まれています。楠は、比重が重いことと、腐りにくく、虫に強いからです。
棟の西側には三日月が、東側には太陽の印があり、陰陽道の影響がみられます。
沖側の扁額[へんがく]には厳嶋神社、御本社側は伊都岐島神社[いつきしまじんじゃ]と筆書きされていて、現在の額は、明治8年の再建時のもので有栖川宮熾仁親王[ありすがわのみやたるひとしんのう]の染筆です。」
到着しました。^^

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日本の観光地という感じがして、とてもうれしかったです。

ここのシカは、食いしん坊で、観光客の食べているものをとってしまうばかりではなく、パンフレットなどの紙類も食べてしまうそうです。かなり気をつけたほうがいいと言われました。
見た目はとってもかわいいです。
そういえば、小さな小屋の中で、整備の方がおせんべいを食べていたのですが、窓の外から、シカたちがじ~っと整備の方の様子を見つめていたのが印象に残っています。


ひそひそ話をしているみたいなシカさんたち。

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写真が多くなってきましたので、次回に続きます。

2014年1月17日 (金)

神戸の夜景

神戸では新神戸駅のそばのホテルに泊まりました。

夜景がとてもきれいでした。

ちなみに、下の写真はゆきです。今回の記事内容とは関係ありません…

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神戸の夜景はこんな↓です。








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ちなみに昼の様子はこんな↓です。




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神戸の紅葉はこんな感じ。
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***

神戸で撮った(私たちの写っていない)写真がいくらか見つかったので、今回載せますね。


神戸の北野異人館街の写真を。
下の写真は、「うろこの家」から見た風景だと思います。

建物の写真が載せられなくて、残念です~。

「うろこの家」とは…
旧ハリヤー邸・明治38年築 国指定登録文化財、兵庫県指定住宅百選の館だそうです。
「外国人向けの高級借家として旧外国人居留地に建てられ、明治後期に現在地へ移築された、神戸で最初に公開された異人館です。
外壁を覆う天然石のスレートが魚のうろこに似ているところから「うろこの家」の愛称で呼ばれ数ある異人館の中でも最も人気のある有名異人館です。」とサイト(http://kobe-ijinkan.net/index.php?id=77)にはあります。


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安倍総理などのお面が生垣にあるのが不思議です。


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それから、↓は、神戸の中華街の入口(大丸近く)。横浜の中華街などに比べると小規模とのことですが、見るものがいろいろあって、楽しかったです。
昔、横浜の中華街で迷ったことがあるのですが、ここの中華街には交番があり、迷っても困ることがなさそうな気がしました。


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なんだか雑多な印象ばかりですが。
次回は宮島・広島に行った時のことを記事にしたいと思います。

2014年1月15日 (水)

池袋と神戸

この日は池袋のねこぶくろとアムラックス東京に行ったのですが、載せられる写真はコレだけです…
アムラックス東京は閉まりましたので(http://www.amlux.jp/index.html)、次回はメガウェブ(http://www.megaweb.gr.jp/)に行きたいと思います。

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**************
ということで、その数日後行った神戸の様子です。
神戸はすごくいいところでした。観光しやすくて、皆さん、親切で、本当に素晴らしい場所だと思いました。
私たちは北野異人館街と、海外移住と文化の交流センターと、ルミナリエを目的に行きましたが、どこも素晴らしく、大変ためになりました。
北野異人館街http://www.kobeijinkan.com/
きれいで楽しくて、よかったです。写真が載せられないのが残念です。
海外移住と文化の交流センターhttp://www.kobe-center.jp/museum.html
内容に多少偏りがある(ブラジルへの移民が多く扱われている)のですが、それは仕方がないと思います。内容は大変興味深かったです。
ということで、この時期の神戸といえば…ルミナリエですよね。   
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人が多かったですが、皆さん礼儀正しくて、良かったです。
寒いなか、結構歩くので、防寒はしっかりしたほうがいいと思います。それから、お子様連れはお子さんを抱っこするなり、おんぶするなり、肩車するなりする覚悟が必要かもしれません。
また、途中から列に入ったり、途中で列を抜けたりするのが難しいようなので(道の両端には警備員が並んでいて、列に横入りしたりできないようにしています)、いったん列に入ったら、最後まで歩きとおすことになるようです。(トイレについて、ちょっと心配になりました。)
それから、少々、音楽の音量がすごいような気がしましたが…

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光のアーチが続きます。
そして、終わりに…


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きれいな館、でしょうか。

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このあたりから屋台が目立ち始めます。食べ物のにおいがプンプンします。



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人がたくさん。
私たちは屋台で食べずに、どこかのレストランで食べようとしたのですが、近くに好みのレストランがなくて、少々大変でした。結局駅に戻り、駅ビルの中のベーカリーで軽食を取りました。

次回も神戸、もしかしたら、広島に行った時のお話をするかもしれません。

2014年1月13日 (月)

上野動物園(2013年12月)

上野でターナー展を見た後、夫がパンダを見た記憶がないというので、パンダを見に行きました。

ターナー展については、こちらhttp://www.turner2013-14.jp/


ターナー展は、想像していたほど、混んでいなかったです。

東京都美術館のレストランで豆のサラダを食べたのですが、おいしかったです。


ということで、パンダです。

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少々怖い顔も。大熊猫と書くと聞いたような気がしますが、確かに「熊」っぽいです。


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きれいな色の鳥。カワセミかな、と思いました。


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ボールを捕まえようとしている白熊(ホッキョクグマ)さん。


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お山の大将。


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私の家のそばに住んでいるくまさんに似た色のくまさん。   


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オカピ。


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暖かくていい天気でした。


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レッサーパンダ。千葉市動物公園のこたちがたしか有名ですよね。

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楽しい一日でした。
次回は、池袋のアムラックス東京に行ったときの写真があったら載せます。
写真に私たちが写ってしまっていそうです…
アムラックス東京(現在閉館)
http://www.amlux.jp/index.html

2014年1月11日 (土)

メキシコ通り(大多喜)

千葉の内房線JR五井駅まで行き、房総横断乗車券を購入して小湊鉄道に乗り換えて養老渓谷駅、そこからバスで養老渓谷に行き、そこから再びバスで上総中野駅に出て、いすみ鉄道で大多喜駅、そして大原駅と行きました。その後、大原駅でJRに乗り換えて、帰宅しました。

年季の入った小湊鉄道、代行バス、ムーミン電車のいすみ鉄道で、楽しい旅になりました。(写真に私たちの姿が入っているので、載せられないのが残念です。)


と、いうことで…



これは上総中野駅。
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ムーミン電車の中。

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大多喜では、メキシコ通りが興味深かったです。
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下の写真は「メキシコ通りの由来」です。読めますでしょうか。

詳しくはこちらにもあります。
http://www.kanko.chuo.chiba.jp/kanko/2241/
下のリンク先は、お話の形式で、面白く読めました。
http://www.pref.chiba.lg.jp/kkbunka/sonohoka/minwa/minwa-48.html



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大多喜城は閉まっていました。

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お城のあるあたりからの眺め。



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大多喜は、房総の小江戸だそうです。   


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次は、上野動物園に行った時の様子を記事にしたいと思います。

2014年1月 9日 (木)

養老渓谷 12月初旬

去年の12月初旬、千葉県の養老渓谷に行きました。

紅葉は終わりを迎えているころ、と聞きましたが、実際にそうでした。
下の写真はゆきで、本文とは関係ありません。
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養老渓谷に降りていきます。


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猫さん。口のあたりがちょっと心配です。   


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養老渓谷には、人がたくさんでした。
粟又の滝あたりではお弁当を食べる人たち…
カメラを持った人、三脚を抱えた人…
川に落ちてしまう人、滑って転んでしまう人…

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下の写真が粟又の滝あたりの様子です。人が多いでしょう?
旗を持った添乗員さん(ガイドさん)に連れられたグループをいくつも見かけました。

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養老渓谷には、子供のころ、写生旅行で来たことがあります。その時には、滝は大きく、渓谷は恐ろしく見えたものです。
でも、大人になって来てみると、のどかな風景で…
不思議なものだ、と思います。


2014年1月 7日 (火)

寒中お見舞い申し上げます

本当にお久しぶりです。

今年もどうぞよろしくお願いします。

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みなさん、いかがおすごしでしょうか。
私たちは皆元気です。
もちろんゆきも元気です。
11月の様子。

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夫の両親のところで一か月ほど過ごして…
1月の様子。
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相変わらずおてんばです。
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ところで、今年も寒いです。
夫の実家にくるスズメさん(かな)はまんまるです。


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水分補給に雪を食べます。

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私の実家は関東なので、12月末でも暖かくて、プリンセス・アイコが咲きそうでした。


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水仙も咲いていました。   


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ほんの数日前のことですが、懐かしい気がします。

これから当分の間、ブログでは、帰省中にあったことなどをいろいろ書いていくつもりです。

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