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2010年10月28日 (木)

ピエール・ファラルドーの言葉(引用を訳しました) その1

http://www.independance-quebec.com/falardeau/citations/ からの引用です。

"Tous seul, je ne suis pas convaincu que j'aurais été capable d'aller jusqu'au bout. Monnonc' est fatigué! " (en parlant du comité 15 février 1839)
「ひとりきりだったら、あの時最後までいけたかどうか、今はわからないな。おじさんは疲れているよ!」
「1838年2月15日」という映画製作に関しての言葉です。映画製作にはお金がかかる上、優秀な人材が必要なようです。この映画については、(内容が、1837年ー1838年のカナダで、支配され不満のあったフランス語話者(だけではないけれど)の反乱を英語話者の支配者側が鎮圧し、その後、おそらく不当なやり方で、反乱者を処罰(処刑)したことを扱っているので、)お金のやりくりに非常に苦心したのですが(カナダ政府は、普通なら、映画製作に好意的なのですが、さすがにこの内容だと…ですよね)、結果としては、非常に良い評価を受けることが出来ました。そのことに言及しているのだと思います。
「1839年2月15日」が具体的に何なのかについては2010年7月9日(金)の「フランス語圏」カテゴリーの記事「多分日本で初めての紹介?ピエール・ファラルドーさん ケベックの映画作家 その4」 http://kiirohiwa.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-dfb9.html をご覧下さい。内容は大した事ないですが。
映画の内容は、(簡単に言ってしまえば、)19世紀の世界的な民族運動の、カナダにおける例を扱っていると考えて良いと思います。
フランス領(ヌーベル・フランス(ヌーヴェル・フランスと発音するほうが正しいと思います)と呼ばれていた)だったのに1763年に英領になってしまった現在のカナダのケベックが舞台です。
1839年頃には英領(後のカナダ)ですが、その地域に住むフランス人移住者の子孫達をはじめとする、英語話者の支配に抗議する人たちが、最初は民主的に話し合いを求めるのですが、結局反乱を起こすことになってしまい(あまりきちんと計画・組織された反乱ではなかったようです)、そして、それは、あっというまに支配者達に鎮圧されてしまい、反乱者たちのうち、あるものたちはオーストラリアへ送られてしまい、あるものたちは処刑されてしまい…というあたりを扱っています。ちなみに、オーストラリアに送られた人たちの多くはその後カナダ(今のケベック)に戻ってきます。いまも、オーストラリアにはその名残があるそうですが…
閑話休題。ということで、処刑される人々の最後の日々がこの映画では扱われています。ファラルドーはこの映画について他にもいろいろ言っているようですが、それはまた後で。

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